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理論の独り歩き

 久しぶりの雑記、雑学ネタ。
原稿用紙6枚弱になってしまったが、まぁ、そこまで長くないはず。

 正直書いてあることは、ありきたりなことで、
どこかで見たことある文章だとおもう。
理由も明快で、「当たり前のことを言ってるにすぎない」から。
 ただ、意識できているかと言われると、すごく悩む分野だと思う。

 AVA(FPS)向けに書いてあると思われるけど、色々なところで応用はきくはずです

続きで本編。
 AVAに限らず、多くのFPSでゲームを有利に展開するために、
多くの理論が存在している。その最も代表的な例がランチェスター戦略と言える。
近年、AVAでも多くのクランが活発的に活動しており、多くの法則や理論が作られプレイヤーに周知されている。
そうして行くうちに、理論で他のクランを出し抜く事が困難になっているという事実が存在している様に思えるが、それは誤解だ。

 そもそも、理論という私たちが日常的に使っているこの言葉。
「理論という言葉を説明せよ」なんて言われて即答出来る人は少ないのではないだろうか。
よく「理論」という言葉を目にする機会があるが、正直「理論」という言葉が独り歩きしているようにしか見えない。
なぜそんなことが起こってしまうのか。
理由は幾つかあるが、「かっこいいからついつい使ってしまう」
というかというと、実はそうでもない。前述に書いてある通り、
「日常的に使っているからこそ、深く理解せずにいる」だけ。
裏を返せば、「理論に限らず言葉をより深く理解すれば、より広い視野を得られる」
という事に繋がる。深く理解するのは容易い事ではないが、誰にでもできることなので、
これを読んでいる奇特な方はぜひこれを機会に、ゲームに限らず色々な事について考えることをして欲しいと思う。
ここから、理論に使い方を説明して行く。

 では、理論(セオリー)とはなにか?
"個々の事実や認識を統一的に説明することができる普遍性をもつ体型的知識"(広辞苑 第五版 岩瀬書店)
と書いてある。
個々の事実や認識というのは自然に対する理解と言えよう。
人が理解し難い自然現象を人が理解できるように体型的かつ、単純化したものを理論(セオリー)と呼んでいる。
 理論(セオリー)というのは意外にも恣意的で、理論から実用的なものを蓄積したのが知識と呼ぶ。
恣意的になってしまうのは、漠然として存在している自然を相手にするからだ。
自然を相手にするからには、理論(セオリー)は無数に存在し、永久的に作られていくもの。
 これらが後述する「論理(ロジック)的な思考する道具」につながり、理論(セオリー)や知識の量というのは、論理(ロジック)の組み立てるときに有利に作用するのが容易に想像つく。得た知識や理論というのはどのように活かされるのか。

 私たちは数学をやって行くとき、様々な定理や法則を学んだと思うが
それらはどういう風に使っただろうか。
恐らく、紙面に与えられた問題に対して解答するために使ったのではなかろうか。
 定理や法則、公式を覚えることは容易いが、みんなが中学時代つまずくのは、
「文章題」や「図形問題(特に証明問題)」だった読者がきっといるはず。
私が中学生教えていて最もつまずく単元がそれだった。
公式や定理を暗記した。理解もしている。にも関わらずだ。
これらの原因は「応用力がない」と一蹴されるが、そもそも「応用力」を解説できる人間も
理論と同じように少ないだろう。

 応用とは、"得た知識、原理などを他の(具体的な)事柄に当てはめて用いること"(明鏡国語辞典 大修館書店)
と書いてある。応用に必要なのは発想力や分析力。
これらは天性的だろうか、いや違う。経験の量だ。発想も分析も経験で培うものである。
私たちが料理や機械の操作は経験で慣れていくのと同じように。
 数学で扱う図形が経験がものを言う単元であるが、図形の知識……
(各種三角形の特徴、三平方の定理、合同図形、相似の条件、平行線の利用、三角比etc)
と言うのは覚えていても仕方が無い。図形を見てどういった図形なのか、なんの定理を使うべきかという、
分析と発想を同時にしていくことで知識を有効活用していく。これが応用例。
覚えたことを使い込んでいく経験を積み重ねていくことで、応用力をつけていく。

 身勝手に知識を結びつけたり、根拠なしの発想、分析は許されない。
推論、根拠を明確に人が納得いけるまで筋道を立てることが要求される。その道筋を示したものを論理(ロジック)という。
基礎(知識、理論(セオリー))と応用(発想、分析)を結びつけること論理的にやり取りしたものを、
論理的な思考と言えよう。
 論理(ロジック)的思考というのは知的で崇高なものと考えられがちだが、そうではない。
人に何か説明しているとき、何か作っているとき、そこには論理的思考が伴っている。

 しかし、基礎と応用を結びつける論理的思考も、あるものがなければ成り立たない。
それは表現したいものだ。
表現したいものがなければ、知識が活用されることもなければ、発想、分析もしないし、
論理的な思考することも当然できない。
私たちは絵の具やキャンパスという道具を揃え使い方を知り、絵描きを経験していようが、
描きたい絵がなければ豚に真珠よろしく持っていても無駄でしかない。
想像から始まり、想像を実現していくために創造していく。
この想像から創造の過程が表現があり、論理的思考は表現の技法のひとつでしかない。

 学問であれば論理的思考でおおよその表現できるが、FPSでは、論理的思考だけでは当然足りない。
サッカーにおいても、理想のゲームを表現するのに必要なのは、
作戦プラン立てるための論理的思考とプレイヤー個々の技術であるのと同じように、
ゲームでも当然ゲームの技術が関わる。FPSにおける技術とはAimがその最たる例ではなかろうか。

 FPSで「Aimさえあれば、作戦立ち回りはどうにでもなる」
「作戦立ち回りが完璧ならば、Aimのなさはカバーできる」
このような一文を見かけるが、極端な二元論にしか過ぎない。
悪いわけではないが、これでは画一的なゲーム展開しかすることができず、
結果としては、他のクランと差をつけることが出来ず、チームの成長も停滞してしまう要因になってしまう。
 技術と論理で幅広いゲーム運びができるようになると、場面場面の手札が増え、
相手の裏をかく事ができるようになるのではないだろうか。
 技術を磨くこと、理論を作り上げ知識を積み上げること、経験重ねること、考えること。
どれかに比重をおくのではなく、バランス良くやっていくのが、何事も上手くいくコツだということ。

 ——こうしてみると何故「学術」という言葉があるか少しは見えてくる気がする。

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